9.11 から20年。あの日、あの時。

こんにちは。IMSの香月です。

緊急事態宣言と一部に適用中のまん延防止等重点措置が今日を最後についに解除となりますね。いやぁ~長かった!?最初の緊急事態宣言時は都内の繁華街では大半の商業施設が営業を見合わせ、人通りが消え、静まりかえった街はまるで別の街のようでした。20年前に同じような光景を目にしました。米国同時多発テロ直後のニューヨークです。

NYに出張に来ていたのですが、テロの起きる前日にはエンパイアステイトビルの屋上にのぼり、映画 “めぐりあい”のメグライアンを勝手にイメージしながら世界貿易センタービルを背景に写真を撮るなどNY観光を満喫していました。(その時の写真は最後のツインタワーが写っていて今でも大切にとってあります)

9月11日当日9時頃はレストランで朝食をとっていました。1機目がビルに突入した様子を店内のTVで観ていました。その時は誰もがテロだということはわかっていなかったように思います。パイロットの操縦ミス?ぐらいに考えていました。それから10時のクライアントとの打ち合わせに会場へ向かったのですが、会場には入ることが出来ず、ダウンタウン方面は立ち入り禁止となり仕方なく一旦ホテルへ戻りました。そこでようやくあの映像がテロだとわかり、テレビでブッシュ前大統領の会見を茫然と観ていました。それでもノンポリな私はその状況をそれほど深刻に受け止めていませんでした。無知は怖いですね。各国からの哀悼のメッセージが読み上げられ、アメリカに軍事協力する国はどことどこで等報じられていました。が、待てど暮らせどその中で”Japan”という言葉は出てこず、日本人として少し情けない?複雑な気持ちになったことを覚えています。

会見を聞きながらなんだか大変なことになってるな~。仕事もキャンセルになってしまったし。日本に連絡もできない。さてどうやって帰国までの日々を過ごそうか。そんなことを考えていたように思います。スマホが無いため、LANケーブルにPCを繋いで情報を収集し、ようやく事の重大さに気付き外を見渡すと、橋を渡ってNYから脱出する人々、キャンドルを手にダウンタウン方面を向いてお祈りを捧げる人や黙祷する人たち、茫然と立ち尽くす人が。ほとんどのお店はクローズし、マンハッタン島は人一人歩いていない状況になりました。イエローキャブも走っていない。救急車や消防車の音が鳴り響いているだけの街。

これがあのニューヨーク?私の知っているニューヨーカーはかっこいいスーツに身をまとってスニーカーで闊歩し活気に満ちていたし、街はエネルギーに溢れていた。私にとってNYは1つの国という感じで、最初に訪れた時は大変なカルチャーショックを受けました。NYはテロ前が一番魅力的だったと思うととても悔しく寂しい気持ちになります。

日本へ(いつ)帰国できるのか?日本航空のNY支店に行ってみると、ビルの入り口は順番関係なく沢山の人々でごった返し。他人を突き飛ばしてでも我先にという感じで前へ進む人々。怒号も飛び交っていました。いつまた攻撃されるかという不安の中、大勢の人が自分がいつ帰国できるか問い合わせるため続々と詰めかけていました。その光景はまるで映画で観る戦時下のよう。筆者も大柄な男性に突き飛ばされ、そのことにとてもショックを受けました。

みんな必死でした。その男性も必至でした。本当にほんとうに大変でした。

事件当時の子どもたちが社会人に成長した今、私たちが太平洋戦争を歴史の教科書で習ってきたように、911は若者世代にとって抽象的な歴史の一部になりました。今、戦争やこうしたテロについて語りあい、学び合う場や機会が少なくなっています。歴史を風化させないために、テロや戦争を知らない世代の理解が必要です。体験した人が当時の様子を語り継ぐのは未来の舵取りを誤らないために重要なことです。

このような悲劇が二度と起こらない未来を考える糸口になればと願っています。

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