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2022.02.09その他
ヘイトスピーチと表現の自由(1)
こんにちは、IMSの林です。
近頃、ヘイトスピーチに対する規制が強化される傾向にあるとともに、ヘイトスピーチに対する関心の高まりも学説上から日常生活に至るまで広く、多種多様な場面で見られます。
特に、諸外国から多くの外国人が来日する近年の傾向や国際化が進む世界の潮流に照らしても、一度考えてみると面白い問題です。
ヘイトスピーチが対象者に対して精神的打撃を与えうるものである一方で、表現の自由による保障が及んでいるのだから、ヘイトスピーチをすることは絶対悪ではないといったような主張もあります。
ここまでは、直感的にわかることなのですが、表現の自由による保障が及んでいるとはどういうことなのか、はたまたヘイトスピーチは本当に表現の自由の保障範囲内なのかという問題意識をもつことを忘れてはいけません。
そこで、今回の更新では、まず上記の「表現の自由の保障が及ぶとはどういうことか」について、表現の自由の理論的背景に触れつつ、法的な視点からはどのようにアプローチしていくかの思考様式のようなものを提供できればなと思います。
もちろん、外国から日本を訪れる人が増加傾向にある日本にとっては、検討した上で、ある一定の方針を国家が示すというのはいずれ実行する必要があるのは確かなのですが、とてもセンシティブな問題である上に、対立点も多く未だ各方面である程度まとまった結論がでていないことも付言しておきます。
では、表現の自由の保障が及ぶとはどういうことなのでしょうか。
これは簡潔に言えば、「表現」に該当する行為は、原則として公共の福祉のために必要な場合でない限り、自由に行いうるということを意味します。
(=原則自由、例外禁止のような発想)
ただ、憲法上の権利であったとして、無制限にその行使が認められることは意味せず、このことは憲法21条1項等の趣旨に照らして憲法により保障される刑事施設収容者の新聞閲読の自由を制限することの可否について争いとなった「よど号」新聞記事抹消事件(最大判昭和58年6月22日民集第37巻5号793頁)の判決文に照らしても、明らかです。
上記の「よど号」新聞記事抹消事件は、表現の自由の制限が違憲であるかを検討するにあたって、最高裁の一般的な判断枠組みを提示したと評されている点で有名であり、以下でその判決文の一部を引用します。
まず、「閲読の自由は、生活のさまざまな場面にわたり、極めて広い範囲に及ぶものであつて、もとより上告人らの主張するようにその制限が絶対に許されないものとすることはできず、それぞれの場面において、これに優越する公共の利益のための必要から、一定の合理的制限を受けることがあることもやむをえないものといわなければならない。そしてこのことは、閲読の対象が新聞紙である場合でも例外ではない。」という部分からは、憲法上の権利であっても一定の場合には、「制約」を加えることが許されるという裁判所の立場が読み取れます。
他方で、「これらの自由に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、右の目的のために制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべきものである(最高裁昭和40年(オ)第1425号同45年9月16日大法廷判決・民集24巻10号1410頁)」という部分からは、制約がどのような場合に許されるかという「制約」に対する「正当化」論証が行われていることがわかります。
具体的な検討は、個別具体的な事案で問題となった表現行為の性質(表現内容が民主主義に関わる重要な事項についてなのか、個人の趣味趣向に関する事項なのか等の事情)、表現行為に加えられている制約の態様(一律に禁止するものなのか、時間や場所を限定して表現行為を禁止するものなのか等の事情)などの諸般の事情に照らして行われることになります。
なお、最後に補足的に、表現の自由があらゆる憲法上の権利の中でも、特に重要なものと一般的に考えられている理由について触れておきましょう。
これは、なぜ表現の自由は憲法上の権利として保障されなければならないのかという、いわゆる保障の趣旨・根拠に関わる問題です。
通説的な見解によれば、以下の三つの点が指摘できます。
一点目に、個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという自己実現の価値が表現の自由にはああります。
二点目に、言論活動によって国民が政治的意思形成に参加することで、民主制に資するという自己統治の価値が表現の自由にはあります。
三点目に、思想の自由市場を実現する必要性があるということが指摘されています。
すなわち、表現の自由の保障は、国家の干渉がなく、すべての思想が市場に登場することを認めることで、様々な思想が自由に競争を行う結果、人格の実現や民主主義過程の維持保全にとってよりよい結果が達成されるということです。
もっと、かみ砕いていえば、間違った内容の表現や人に不快感を与える表現であったとしても、そのような表現はそれをさらに否定するより善い言論によって淘汰されていくということです。
すこし長くなりましたが、以上の点が表現の自由に関する概略となります。
次回の更新では、ヘイトスピーチの定義の考察を改めて行った上で、表現の自由とヘイトスピーチの関係を近年の裁判例も交えて、考察していきます。
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